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9/11

September 11


アメリカでは 9-11 (ナイン・イレヴン)と呼ばれる日。


こちらでは救急の電話番号(日本の110番や119番にあたるもの)が
911なので その日に起こったのは皮肉だとか、
11と言う数字がちょうどワールド・トレード・センター(以下WTC)のツイン・タワーが並んで建ってる様子と同じだからテロリストは11日を選んだんだとか

色々どうでもいい事も当時は言われた。

どうでもいいと言えばアメリカ流の月日の表示では、

9月11日は 9/11

10周年記念の今、「2011年9月」も 9/11


これも面白い偶然。


日本の、東北の災害は3月11日だったから今日でちょうど半年、

アメリカの、あの朝からは10年。


あっと言う間の10年でもあり、果てしなく長い10年でもあった。



10年前のあの朝、シャワーから出るとダンナが「世界貿易センターに飛行機がぶつかった」と言うニュースを教えてくれた。

きっと何処かのバカが、自家用飛行機(もしくは観光客用の遊覧飛行機)でぶつかったのだろう(グライダーくらいかとも思った)、タワーの方に被害が出なかったらよかったけど、と思いながらテレビつけたら・・・・・・・


タワーから煙が出ている。

こんな大きい事故だったのか。




と見る間に、別のタワーからも煙が・・・・ (飛行機がぶつかる瞬間をテレビで見たような気もするのだが、後からさんざん見たビデオからの記憶で、テレビではアナウンサーが「あ、もう一つのタワーからも煙が出てます!!」と言っただけだったかも知れない。)


それからPCのところに来て、3日前にニューヨーク・シティ(以下NYC)に引っ越したばかりの子が無事かと確かめる為にチャット・ルームを開けた。 (ちょうどその年の4月からチャットを始めて、毎日話して親しい「ネット・フレンド」になっていた。)
カリフォルニア・ボーイで大学出ても職がなかった彼は、NYCを試してみようと9月8日に着いたばかり。  (でも経費節約の為乗り継ぎのある便で行ったばかりに荷物をなくされ、ようやく荷物が見つかったと連絡が来た時は 入居したアパートがそのWTCの災害で出入りのできない地域にあったので荷物を取りに行く事も出来ず、ずっと着替えもないままで数日過ごしたのだった。)
とにかくその彼が アパートの屋上から「実況中継」でWTCが燃えてる様子をチャットルームで伝えてくれていた。
でもその彼も、「ニュースが大げさに騒いでいるだけだよ」と最初のうちは言っていたのだが・・・・・


またテレビに戻り、様子を見てびっくり!  信じられなかった。
そばで見てるダンナの腕をしっかり掴まえてしまった。 
普段なら毎週仕事で何処かに行ってる彼(当然飛行機で)、たまたまこの週は在宅だったのだ。

しかも5月から7月の3ヶ月くらいは毎週NYの、WTCのすぐ近くで仕事をしていた。

彼が家にいなかったら、たとえNYCへ行ったのでないとしても、どんなに不安で心配しただろうか・・・・



テレビを見てる私達の目の前で、タワーが崩れていった。

その様子は、「まるでハリウッド映画を見てるみたい」だった(貧しい形容だけど、それがその時の正直な感想だった。)


ニューヨークが燃えるなんて・・・・・・・・・


信じられない・・・・・・・・・










やがてペンタゴンにも突っ込んだ飛行機があったとか、

行方不明の4機目・・・・・・

ピッツバーグ近郊に墜落したと後になってわかった。

先にハイジャックされた飛行機がWTCを襲ったと知った乗客が、これだけはさせるものか、と 彼ら自身は同じ犠牲になるにしても標的には向かわせないように、と闘って墜落させた、つまりテロリストの成功を阻止したのだった。
(後でこの記事を読んだ時は さすがアメリカ人!と思ったのを覚えている。)



娘は学校の授業が閉鎖になって戻ってきた(高校の最上級生だった彼女は、まだ消化していなかった体育の時間以外は隣町の大学でクラスを取っていた)。  
高速道路にずっと軍隊のトラックが連なっていて、とても怖かったと言っていた。


別の友人はブルックリンに住んでいたのだが、彼女のアパートの窓からWTCがよく見えた。
煙が出ているタワーをずっと見ていたら・・・・ 何かが建物からさかんに落ちている。
最初は紙か何かが窓から落ちているのだと思っていたが、それが飛び降りる人々だとわかってゾッとしたそうだ。

もう助からないとわかった人々は、近くにいた他の人と手をつないでビルの窓から飛び降りたのだ。

このまま焼け死ぬよりは、と。

次々と。

それは何と絶望的な、寂しい旅立ちだった事だろうか。




犠牲になった人々の事を思って、私達は泣いた。
何も罪のない人たちが、ただそのビルで働いていただけなのに。
ハイジャックされた飛行機に乗り合わせただけなのに・・・・・・



その時は世界中がNew Yorkとアメリカのために、犠牲者の為に追悼の意を捧げ、一緒に悲しんでくれた (イランでさえも追悼のキャンドル・サービスが行われたとか。)




でもその後アメリカがとった行動は・・・・・・・・・・・



タリバン政府が協力しないので(というか匿っている)ビン・ラディンを捕まえるという名目でアフガニスタン攻撃を始めた時は まだ他の国の協力もあった。  私も、今正直に思い出すのが恥ずかしいけど、その当時は反対していなかった。
(でも間もなく、こう考えるようになった・・・・・ アメリカ各地で中絶クリニックその他を爆破した犯人がキャロライナの山の中に隠れているのがわかった時、彼を捕まえる、または殺すと言う目的でその山や村を爆撃はしなかったではないか!  ビン・ラディンが目的でアフガニスタンの罪もない人々を殺すなんて・・・・)


しかも それが翌年になり 「今度はイラクを攻撃」と聞いた時は
エエ~~???    何で???    と呆れた。    信じられなかった。

それについても書きたい事は沢山あるけど、長くなりすぎるので今日は9/11の事だけにしておこう。




直接の友人で犠牲になった人はいなかったが、間接の友人や知り合いはいたし、大なり小なり我々の生活にも様々な影響があった。 

あれからアメリカが、世界が大きく変わった。


長かった、短かった10年。


我が家ではテレビでのメモリアルの様子を見ていない。  

オバマさんのスピーチだけは聞きたい気もするけど、きっと「アメリカの国民全体に受ける」ように上手に話すのだろうし。


9・11の犠牲者と、それを助ける為に尽くして自らの命を失ったNYの消防隊員の方々には心からの追悼の意を捧げる。


でもアメリカは、その為に(その事件をきっかけとして)始められた戦争で、WTCの犠牲とは較べ物にならない数の兵士たちや、それとは更に全く比較できない数のアフガニスタンの、また何万、いや何十万ものイラクの人々が犠牲になった事を忘れてはならないと思う。



それから、これは後で別にもっと書くつもりだけど、やはり一言。

あの時ブッシュ政権でなかったら、 と。 


WTCで犠牲になった人々とその遺族それぞれに長いドラマがあるように、

死んでいった兵士たちやその遺族、

アメリカの爆撃で犠牲になった人々にもそれぞれ沢山の長いドラマがあるだろう。

また「テロリストの可能性あり」で突然引っ張られていった(恐らく多くは全く罪もない)人々と、その母や妻たち・・・・・・







10年前の9月11日は、雲ひとつない、抜けるような青空だった。

10年後の今日のNYCは、テレビを見てないので知らないけど、

アトランタは今日も真っ青な空・・・・・・・・・









     *********合掌**********






















          ***************

by lifeisok | 2011-09-11 22:34 | what's new (or old) | Comments(28)  

Commented by lifeisok at 2011-09-12 05:03
こういうサイトを見つけました。
http://www.unknownnews.org/casualties.html
アフガニスタンも悲劇ですが、殊にイラクで、どんなに沢山の市民が殺されたのかがわかります。
許せないことだと思います。
Commented by ひろし at 2011-09-12 07:26 x
結局、戦争では何も解決しませんよね。

人類は長い歴史の中で、体験している筈なのに。。。
Commented by Toshi at 2011-09-12 08:48 x
911は自分の中ではかなり大きな出来事だった。大学で反戦活動をしていた矢先に起きた事件だったので、アフガニスタン戦争、イラク戦争ともに鮮明に覚えています。当時のアメリカは復讐に燃えていて、あきらかに無関係のイラクを攻撃しようとしていたアメリカ政府が、なぜそこまでイラクを執拗に攻撃したかったのが理解できませんでした。911以前のアメリカには、多少問題があるのはしょうがないけど、少しは好感が持ててたんですけど、911以後は、怖かった。昔のアメリカに戻ってくれれば、世界はもっと良くなりそうだけど。
Commented by Jun at 2011-09-12 09:18 x
ひろしさん> アメリカはベトナム戦争から何も習わなかったのか、って思ってしまいました。  ただ何でも金儲けにはなりますよね。 殊にブッシュ政権では副大統領はじめ沢山金ヅルの絡んでる人たちがトップをやってましたから。   そういう商売のお蔭でイラクに行ってるアメリカの兵士達も酷い目にあってるそうです。
オバマさんになったらそういう事がすぐ終わる、と期待してた人たちも多かったのにね。
Commented by Jun at 2011-09-12 09:28 x
Toshiくん> 日本でもヨーロッパでも、世界中がイラク戦争には反対してましたよね。
「あきらかに無関係のイラク」と我々は思いましたが当時のアメリカではWTCを攻撃したのもイラク、と信じていた人が多く、今でもまだ信じている人たちさえいます。 民主党の議員達もサダム・フセインがアメリカを攻撃する大量武器を持っている、と言うブッシュの言葉を信じてイラク戦争に賛成票を投じました(でもこれは嘘だと思います。当時の世論がそうだったから、反対すると次の選挙に負けると思った人が多かったのじゃないかしら。)
あの後どんどんと嫌な国になり、我々外国人には住みにくい国になりました。
オバマさんでまたアメリカに対する感情が良くなり、少しは変わるかと思っていたのに、逆作用でウルトラ保守が強くなってしまい、余計信じられない国になりました。 この先どうなるのか恐ろしいです。   
アメリカの良心を持った人たち、少しはセンスと教養のある人たちの声が強くなる事を望みます。
Commented by 夢ママ at 2011-09-12 19:10 x
先日、テレビでこの戦争で親をなくした孤児は,村ではじかれてタリバンに入る子が多いと言ってました。
ビン、ラディンを殺害してもタリバンは、消えないのです。悲しいね。
Commented by なこ at 2011-09-12 20:26 x
 痛ましい事件でした・・・テロは本当に許しがたいです。
Commented by Penta at 2011-09-12 21:51 x
10年前の生中継を見ていた人たちは、多分、多くの人が「どこで自分がテレビを見ていた」のかがはっきりと記憶しているんじゃないでしょうかね。

僕も、テレビを点けてニュースを見ていてWTCに飛行機が突っ込むのは映画を見ている気がしました。

即、全米を飛んでいる飛行機は着陸させて飛行禁止になってしまいました。
旅行でアメリカに行っている人たちは、いつ帰国出来るのかなと思ったものです。

911と言うと、アメリカでは救急の電話番号ですよね。
本当なら、独立記念日とか大統領の誕生日とかに事件を起こせばいいと思うんですが、裏をかいて、その日にしたんでしょうか、、、

Commented by Jun at 2011-09-12 21:53 x
夢ママさん> そうなんですよね。 「何故9-11が起こったか」って、元の所が全然アメリカにはわかってないから、ただの悪循環です。 ブッシュの戦争のお蔭で余計テロリスト志願が増えたと思うし(戦争前から私は、「ブッシュはアル・カイダのリクルーターだ」と言ってました)・・・アフガニスタンに次々学校を作って「村ごとに、根っこの所から」人々と繋がろうと務めてた人を尊敬してたのに寄付の使い込みがわかって支援者が離れてしまったし(今でもその人のやってた事自体は理想だと思うし、続いているといいけど。)

武器では解決はないですよね。
Commented by Jun at 2011-09-12 22:00 x
な~こ> テロは本当に許せないと思う。  でもアメリカの(大国の)やってる事も 大規模なテロだよね。 

「レジスタンスとテロリストのどこが違うか?」って以前にも皆で話してた事がありますが、タリバンも自分達の側の時は「勇敢なムージャーヘディン」で、西側にたてつくようになったら「テロリスト」・・・・ 日本でずっと昔の映画「アルジェの戦い」を見た時はテロリストの側に立って見てましたが、9-11の後イラク戦争が始まってからまた見たら、今と同じテロ・・・でした(女性を使って兵士を油断させたりとか)。

とにかく罪もない一般の人々を巻き添えにするのは許せませんね。  テロでも、「正式な」戦争でも・・・・・
Commented by Jun at 2011-09-12 22:13 x
Pentaさん> 911は偶然だと思うのですが、きっと天気の良い日を選んだのではないでしょうか。
Pentaさんもあの瞬間を見ていらっしゃいましたか。  本当に映画の特撮みたいでしたよね。  あれが現実とは信じられませんでした。

娘の友達はパイロットやスチュワーデスの親を持ってる子が多いので、皆結構あちこちで足止めされてしばらくは連絡もとれなかったそうです。
日本の友人は、近所の娘さんがちょうどハイジャックされたのと同じルート(LA行き)の一つ前の便に乗っていて、事件が起こったので急に全然知らない所に着陸してしまい、とても困ったそうです。 (幸い日本のビジネスマンのグループと出会えて、一緒の車でシカゴまで連れていってもらったとか・・・ でもその間日本の両親とは連絡もとれず、親御さんは本当に心配してたそうです。)
Commented by Jun at 2011-09-12 22:14 x
(続き)
そういえばいつだったかイアン・ソープの話をしましたが、観光でビルの上にいた人たちも多かったでしょうね。  (日本の甥もちょっと前に行ったばかりだと言っていました。)
間接の友人で、普段WTCのオフィスで働いているのに、たまたまその日は休みだった人がいるんです。
またダンナがその次の週にフィラデルフィアに出張した時は、仕事先のオフィスでも随分沢山WTCで亡くなった方がいて、オフィス内の仕事机があちこち空っぽで、何ともいえない気分だったと言っていました。

昨日の10周年記念の式典、見なかったんですが、無事にすんだようでホッとしました。
Commented by agnes at 2011-09-16 04:24 x
式典の映像は見ないで過ごしました。

優秀な専門の建築技師や設計者らが、まだ真実を知りたいと言っているのはご存知ですか。つまり飛行機の衝突だけではあのようにならないはずだ、というのを物理的な検証から結論づけているのです。ではどうしてそうなったか。それはナゾですが、米国の軍事用の爆発物の一部が検出されたりなどから、飛行機だけでなく、爆発物でテロを確実に発生させるようにしてあった、という疑いです。英語で申し訳ありませんがビデオをリンクしておきます。
Commented by lifeisok at 2011-09-16 05:23
agnesさん> 確かに、あのように崩れたのはビン・ラディンでさえも予想してなかったと思います。 (でもPBSの番組で、どうしてそうなったか、って設計と構造を説明してた番組が以前あったと思うのですが。)
でもアメリカの軍事用の爆発物があったんですか。 
リンクのビデオ、後で見ますね(これから夕食の仕度なので^^;)
ありがとうございました。
Commented by lifeisok at 2011-09-16 11:12
ヴィデオしっかり見ました!  難しい物質の名前になると耳が拒否してしまうので、「米国の軍事用の爆発物の一部」と言うのは聞き取れなかったんですが、確かにあの崩れ落ちようはビルの解体作業と全く同じですよね。「オフィスの"紙"が燃えて非情な熱さになった」と言う事でしたが、それでもあんな風にビル全体が崩れるだろうか、と思っていました。
それに、「原因究明」は必要、と言うか当たり前の事なのに、それをやらないで、しかも物的証拠になるような物も全部さっさと片付けてしまったんですね。
必要な、当たり前の事をやらないで、エネルギーとコストを全部外に向けての戦争につぎ込んでしまった・・・・・・・
これだから、「戦争やりたい為にブッシュ政権が計画したんじゃないか」なんて声が出ても仕方ないですよね。

「あのような崩れ方を説明した」PBSの番組が何だったかわかるといいんですが(NOVAだったかなあ・・・・・)
Commented by agnes at 2011-09-17 05:03 x
>PBSの番組

私はこの番組を見ませんでしたが何かの記事でその崩壊のからくりを読みました。あのデザインでなかったら崩れ落ちなかっただろう、ということが描いてあって、たしか設計者が日本人で、あんな言い方だと設計者のせいにしているような感じでかわいそうだと思ったことを覚えています。
ケネディー暗殺とか911とかいろんな謎の出来事が多いですね。
Commented by Jun at 2011-09-17 09:37 x
ミシガンの姪が、その設計者の孫と友達だったんですが、彼はお爺さんの設計したWTCをとても誇りとしてたって。
9-11の時設計者はもう亡くなっていたんですが、その孫にはショックだっただろうなあ、と思っていました。
でも技術者はまだ存命ですよね。  その他にも設計・建設に関係した人たちはどんなにか辛かったでしょうね。
Commented by Penta at 2011-09-17 21:44 x
9.11前後のWTC関連番組をスカパーで見ていたら、そのWTCを計画段階から取材した番組がありました。

この建物を作るにあたって、初めはヤマザキ設計事務所が担当するとは思われていなかったそうですね。
その当時は、まだ経験としては浅くて、これほどの建物をこれまで引き受けたことがなかったのが理由に挙げられていました。

しかし、その設計段階で建物の外側を特に頑丈にすると内側はそれほど強くしなくてもいいというので、限られた予算もあってヤマザキ設計事務所になったようです。
実際の番組内では、もっといろいろな事を含めてですが。

建設がスタートすると掘り起こした場所は、川のそばで地盤が弱くて水が染み出してくる状態でした。
出土した土はバッテリーパークとかその周辺の埋め立てに使われたようです。

PBSの番組とは違うかも知れませんが、軽く思い出した事柄を論文で書いてみました。(笑)
Commented by Jun at 2011-09-18 12:20 x
Pentaさん> 色々な逸話があるんですね。  それで思い出した、多分前にあげたPBSの番組とは別の、(でもやはりPBSの)番組だったと思うのですが、このWTCを建設するにあたり、その地域にあった沢山のビジネスが立ち退かないとならなかったんでした(もちろんそれなりの保証金とか代替地とかはもらったんでしょうが)、それまでは「昔懐かしい」と言う雰囲気の、小さい店などが立ち並んでいたようです(今でもブルックリンなどには見られると思いますが、日本の八百屋みたいに通りまで野菜の陳列がせり出していたりとか)。 それがなくなったのを惜しんでいたNYっ子も多かったようです。

WTCは限られた予算もあったんですね。

外側は設計当時最大の飛行機がぶつかる事も想定して強く作ってあったのに、実際にテロリストがハイジャックした飛行機はそれより更に大きいものだったそうですね。
ヤマサキ氏は「10年後の生活環境を明確につかむことができないのに、20年後は考えてみても見当もつかない」から「ビルの寿命はせいぜい20年」と言っていたそうですが、建物の事だけでなく飛行機の大きさも、またテロの方法なども27年の間に変わってしまっていたわけですね・・・・・
Commented by Penta at 2011-09-18 21:27 x
あ、こんな事も言っていました。
元々、WTCの場所は電気店街のあった場所だそうです。
その当時の映像も流れていました。

外壁は頑丈に作ったんですが、火事で鉄骨も高温に耐えられなくなって床全体が落下していったそうです。

引っ越さなければならなくなると保証金とか立ち退き料はもらったでしょうね。

予算は最初の予算でも少なすぎて、ドンドン大きくなったそうです。

え、設計当時、最大の飛行機がぶつかる事も想像していたんですか。
NYなら災害と言っても、地震は少ないし台風もあまり来ませんからね、、、

ビルの寿命もたった20年と考えていたんですか。
世界一高い建物としては、少し消耗品的な考えだったんですね。
Commented by Jun at 2011-09-19 09:36 x
電気店街でしたか。  私が見た番組ではそれこそ色々なお店があったように(古い写真ですが)記憶していたんですが。

ミノル・ヤマサキのウィキリンクしておきます。  私が先に引用したのは日本語のページからですが、英語のページの方には彼の設計したビルが色々リストアップされています。
シアトル時代に馴染みだったレーニエ・タワーも彼の設計だったとは知りませんでした(下が細くなってる面白い建物で、幼い息子がお気に入りでした ^^)

(飛行機がぶつかるのを懸念したのは、「霧の深い日に、万が一・・・」を考えての事だったそうです。 まさかハイジャックされた飛行機が突っ込むなんて誰も考えなかったですよね・・・・・・)
Commented by Jun at 2011-09-19 09:47 x
そういえばPentaさん、Man On Wireと言うドキュメンタリーはご覧になりましたか? 2年くらい前にアカデミー賞取った映画ですが、とても良かったです。 
映画のサイト、リンクしておきますね。 
もしスカパーでやる事があったら、是非録画して見てみてください ^^
Commented by Penta at 2011-09-19 12:04 x
見た番組では電気店街でしたが、違う場所から撮るといろんな店があったということでしょうね。(笑)

レーニエ・タワーというのは博覧会のときに作られた円盤のようなタワーではなく、鉛筆の芯を下にして建っているようなビルのことですか?
多分、写真を撮っていると思うんですが、フィルムの時代なのでスキャンしてなくて探してもありませんでした。
これと同じようなビルが大阪にもあります。

リンク、ありがとうございます。
WTC以前でも、よく似たビルが多いですね。

あ、ビルに衝突するというのは霧の深い日を想定してでしたか。
本当に、突っ込むという方がぴったりですね。


『Man On Wire』というドキュメンタリーですか。
見ていないです。

最近、誰かが高いところを長い距離、綱渡りしたのをニュースでしていたんですが、どこだったかな、、、
と思って検索すると出てきました。
リンクしています。(笑)

そう言えば、クモ男みたいに世界的に有名なビルをあちこち登っていく人もいましたね。
Commented by Jun at 2011-09-20 07:19 x
「鉛筆の芯を下にして建っているようなビル」・・・表現上手いですねえ~~!!  そう、それです(ウィキの英語版にも写真がありましたね。)
バンクーバーのは確か下の部分が違って、でもやはり上が大きいビルでした(設計者は誰だか知りません)。
シアトルの「円盤みたいなタワー」はスペースニードルですね。 あれとレーニエ山が、必ず「シアトルから」の背景(ニュース番組のゲストがシアトルから参加してるような時)に出てきます ^^ 

リンクありがとうございました。 凄いですね~! でもビデオは、歩いてる所があまり見えないので、高さもわかりませんでした。
見てる子供達に「真似しちゃダメですよ!」って言ったかしらね^^

クモ男、覚えてます!  何度も逮捕されて、でもまたチャレンジしてました。  Man on Wireの映画を知った時すぐにこのクモ男のこと思い出して、フランスにはこういう人が多いんだな~なんて思いました。  
でもリンクのこの人はドイツ人みたいですね。 それで綱渡りだけでなく、色々な事にチャレンジしてる人なんですね。

Man On Wireは綺麗な映画でしたよ(音楽も良かったし)
おススメです ^^


Commented by 桃花 at 2011-09-22 12:13 x
いろいろ勉強になる(コメントの会話も) 日記です
ありがとうございます

9月11日の自分を 世界中の人がみな忘れられないことでしょうね

桃花は県代表でデンマークとオランダへ派遣中でした
オランダで乗り換える時 もくもく煙が映っているテレビの前に人が群がっているのを見ましたが時間も無かったので通り過ぎました

その夜ホテルでテレビを見て真っ青になりました

翌日 町には半旗が掲げられ アメリカ大使館は近寄れないし まわりにはいっぱい花束が置かれていました

取材をお願いしていたところも一部立ち入り禁止にもなりました

帰国時には検査が大変厳しくなっていて飛行機の中で数時間待たされました
それでも荷物検査で遅れて荷物だけ後日届いた人もいました

そう あれから 世界が大きくかわりました


血を血で洗うのは 絶対にいけません
大切な命 大切な財産 大切な地球を守るためにも・・・ 
Commented by Jun at 2011-09-22 13:22 x
モモちゃん> それはまた、絶対に忘れられない所での9-11でしたね。 たとえアメリカでなくても、旅行中と言う事でご家族は心配されたでしょう。
「県代表」と言うのは何の代表だったのでしょうか(まずピアノかな?と思ったのですが、「取材」と書いてありましたから、別の事かな。)

そのすぐ後で飛ぶのは大変だったでしょうね。

飛行機の旅も、とにかく面倒になりました。

でもアメリカの反応が ああいうものでなかったら、こんなに酷くはならなかったのではないか、と思っています。

本当に、「血を血で洗う」のでは何の解決も出来ませんよね。

平和な世の中を、といつも願っているのですが、

いつになったら・・・・・・・・・・・・・



Commented by 桃花 at 2011-09-23 21:34 x
海外女性派遣団という企画をしている都道府県は多いようです
というか
多かったんです 
今は予算がないとかで止めているところがほとんどです

その頃・・・
例にもれず桃花も行かせてもらえました

とあるとき 地域の区長会長さまから『北欧へ行きたくない?』って言われたので 「行きた~~~い!」と言ったら レポートを書いて提出しなさいと言われました(笑
主題は《男女共同参画社会について》でした
100人以上の応募の中から三分の一ぐらいが選ばれて面接がありました で、10人の中に入ったんです
桃花以外はしっかりそのテーマを研究している方ばかりでしたので渡航までの半年(一年近かったかしら?)は相当勉強しました(笑
帰国してからも知事さんへの報告や公式行事が多くてアップップでしたよ(苦笑
でも いい経験をさせていただけたと感謝しています☆
Commented by Jun at 2011-09-24 05:50 x
海外女性派遣団、と言うものがあったんですか。
選ばれて行ったんですね。  凄いね~~

本当にいい経験でしたね。

でも9-11関連は、なくてもいい経験でしたねえ・・・・・・・・

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